【前編】外から地元を見ることで、ものづくりの可能性が広がる。

【前編】外から地元を見ることで、ものづくりの可能性が広がる。
竹崎さんがつくりだす指輪をはじめとしたメタル作品の数々。作品はStudio CloudのHPまたはInstagramからご覧ください。

出水出身で、現在は大阪にて指輪をはじめとしたメタル作品を製作している「studio cloud」の竹崎 伸一(たけざきしんいち)さんにお話を伺いました!
前編・後編にわたってお届けしていきます。

※こちらの記事は前編になります


プロフィール的なお話から伺います!竹崎さんはもともと出水のどこのご出身ですか?

麓の出身で、出水小、出水中、出水高校だったよ。
商店街の全盛期というか、30年前はずっと商店街を見てたというか。たしか今の中町駐車場のところに映画館があったときから通っていたし、駄菓子屋さんにも行ってたよ。

わあ!たしかに映画館や駄菓子屋さんもあったと商店街の人たちから聞いたことがあります。

そうそう。専門学校は大阪で、そこからずっと大阪市内に住んでて、最初に入った兵庫にある会社に10年勤めて、いまは独立してやってるよ。

たしか以前今のお仕事について伺ったとき、最初からものづくりをやるのは決めてたって話してましたよね?

決めてたというか、何かを創り出すとか、手を動かしてものをつくる仕事をしたいなあとは思っていたかな。

それはいつ頃から考えてたんですか?

高校2年生くらいのときかな。

まさに進路選択を考えるタイミングですよね。
ものづくりを志すきっかけがあったんですか?

出水にいると、仕事をイメージする選択肢ってすごい少ないなって僕は思ってて。「将来何になるの?公務員!」の印象も強かったし、だから公務員とかになれたらいいのかなとか思ったこともあったけど。仕事をする期間って何十年もあるじゃない?人生の一番長い時間を使うんだから、自分が本当に楽しくて、興味があって、やりがいのある仕事ができたらいいなぁと思ってて。

たしかに、そうですね。

でしょ?まあ、何かを作っていたというわけでもないんだけど、ものづくりは好きだし、楽しそうだなと思ってて。ものつくるっていっても、高専にいくとか、工業系にいくとか、いろいろ選択肢はあるじゃない?
だけど、これからどんどんIT化が進んで機械化していけば、人の手っていらなくなるだろうから、そのときに生き残るものづくりってクリエイティブな路線のものづくりが大事になるんじゃないかなと思ってて。
技術系じゃなくて美術系、アート系。そういう系の学校に行ってみようと思って調べて行ったという感じ。

なるほど…!でもそれ、よく高校2年生のときに考えましたね‥!(私はそんな思考皆無でした…涙)

まぁその頃ってバブルがはじけたか、社会のなかで会社員だからといって安定しないとかリストラとか、そんな話題がニュースで流れてる時期だったと思うんだよ。先々どうなるかわからないし、どうせなら若いうちに本当にやりたいことができたらなって。

そういう話ができる友達って同級生にいましたか?
まあ同級生でなくても、周りに話せる大人がいたとか。

そうね、同級生とはそんな話はなかったね。話せる大人も特にいなかったし。でもそれがなかったからこそ不安だったのかもしれない。
これってよく質問されることなんだけど、たぶん、高校生よりもっと前から、不安があったんだと思う。将来への漠然とした不安が。それがあったから、必死というか、それなりにいろいろ考えたんだと思う。

不安…ですか。これはもう少しお聞きしたいところです。
ちなみに出水を出たい!という気持ちもありましたか?

出たいとか出たくないとかじゃなくて、いろいろ調べて決めた学校が大阪だったって感じ。

なるほど。ちなみにご両親や親戚でものづくりをしている方がいるとかではなく?

大人になってから聞いた話だけど、うちのおじいちゃんが、ものづくりが好きな人だったみたいな話は聞いたから、そのルーツもあるんかなぁ。でも昔の人にとってはものづくりって当たり前のことでもあっただろうしね。
やっぱり思うのは、とにかく大阪に行ったのはよかったんだろうなって思うよ。

大阪の専門学校に行ってるときは、いつかは出水とか鹿児島に帰って何かしたいなと考えてる時期もあったけど、だんだん広い視野を持つようになってね。
今だったら、大阪と出水を行き来したり、自分が大阪にいることで鹿児島のためにできることがあったり。帰るだけがベストではないなと思い始めて、今に至るって感じ。

たしかに。竹崎さんが大阪にいることで、大阪と鹿児島で何かできないかなとか。いろんなご縁をもらえる気がします。

技術的に見ても、都市部だといろんなものを見聞きできる、情報量も多いし、そういう良さはあるよね。
鹿児島に帰るの?帰らないの?ってよく聞かれるけど、選択肢ってその2つだけ?って思っちゃうかな。”県外から見た鹿児島”のほうも面白いんじゃないかなと思ったり。

確かに!外から見る鹿児島ってどんななのか気になります。
ちょっと戻って、専門学校のことから改めてお聞きしたいです!専門学校では美術について学んでたんですか?

そうだね。鹿児島だったら松陽高校とか美術が強いところがあるけど、出水高校だと美術系を仕事にしてる人も少ないし、全然イメージつかなかったけどね。専門学校では美術の勉強をしながら、金属を使ったものづくりも教えてもらったよ。

面白いのが、作り方も当然教わるんだけど「なぜつくるのか?」を教わるところだったんよ。だから、大切なのはコンセプト。それが美術と技術の違いなんだって言われて。行ってよかったなって思うよね。そういう経験ができて。
でも、なぜつくるのか?から、いろいろデザインを考えるんだけど、そういうときに活きてくるのが出水の自然とか、育った環境。そういうのがものづくりに出てくるというか、活きてくる。これは今でもあることだし、もともと大阪だったというよりも、出水って場所から外に出てきて創造する、すごくいい流れだったんじゃないかなと思うよ。

ものづくりのなかで、生まれ育った出水が活きてくるんですね。竹崎さんは美術のなかでも何を専攻していたんですか?

美術工芸学科、彫金アクセサリー専攻だったよ。卒業生のパンフレットで、金属なのにすごい温かみのある作品を作っている人がいて。金属って冷たくて固いイメージだったのにやわらかさを出せるんだということに魅力を感じて、いろいろ見たり触ったりしてきたけど、金属が性格に合うというか。それでずっとやってるという感じだね。

当時専攻したものがそのまま活きてるんですね!

そうそう。出水出身でよくそんな仕事につけたなぁと自分でも思っちゃうね。

たしかに出水ではなかなか耳にしない職業ですよね。

まぁ今は指輪をつくることが多いんだけど、専門学校のときはそんなに定まってはなくて。はじめて就職した会社がしっかりジュエリーで、レベルも高いところだったのよ。だから会社ではたくさん学ばせてもらったなぁ。

レベルが高いところで学べるのは独立するまでの経験として大きいですよね。

そうそう。正直最初はそこまで指輪とかジュエリーに興味があったわけではないんだけど、やっていくうちに楽しくなってきて、「彫金やってます」より「指輪作ってます」と言ったほうが分かりやすい。
指輪ってどうなんだろうと考えたときに、鹿児島でも出水でも指輪を探してる人がいるなら、私にできることがあるかもしれないし、もっとできることがあるんじゃないかというのも見えてきて、指輪に落ち着いたという感じかなぁ。

独立して立ち上げた「studio cloud」で生み出される作品たち。真鍮(しんちゅう)のオーナメント。錫(すず)の皿。ランプシェードなど。指輪だけじゃない、創造される作品は様々。

なるほど、そうだったんですね。独立する前の10年間は、ほぼ作る人として働いてたんですか?

そうそう、ずーっと。朝から晩まで、削ったり、たたいたり、磨いたり…そんな生活を10年間やってたねぇ。

ほぼ作ってるじゃないですか!!!

そうだよ~。そのときは集中してたというか、とにかく技術を上げたいから四六時中作業してたねぇ。

四六時中。。。

そうそう。いま思えば、それもやっぱりいつかは独立してやりたかったから、やってないと落ち着かないというか、不安があったから毎日やれたんだろうね。
だから実際10年会社に勤めて、辞める時はあまり不安はなかったかな。

不安を払拭するほどにやりきったと(笑)
ちなみに何年やったら独立しよう!ってのは決めてたんですか?

最初は会社に入って3年で独立!とか考えてたけど、全然独立にはほど遠く、結局10年かかっちゃったなぁ。

そうだったんですね。
ここまでの話を聞いて、竹崎さんでも不安に思うことがあるんだというのが意外でした!

たぶん将来への不安がすごくあったんだと思うよ。

進路のときも「不安」って話してましたよね。

この不安って何だろうって考えてたのよ。
将来の不安…生きるための不安ってことなんだけど。

出水って武家屋敷もあるし、特攻碑もあるし、戦争の面影があるじゃない?
図書館の2階にも歴史的なものの展示があったけど、そこにあった人形とか小さいころすごい怖くて。生きるか死ぬか、戦争とか、そういう不安感。
戦争がない世の中のありがたさとか、そのなかで自分ができることを頑張ろうとか、子どもながらにいろいろ考えたんだろうなぁと思う。

そういうことを考えられたのは、歴史を大切に残し伝えていく環境があったからでしょうね。

戦争とかって触れにくい話…、でも大事な話じゃない?
出水兵児修養掟(いずみへこしゅうようおきて)だって武士の心構えみたいないことだしね。そういう考え方が自分の中に残っているのかなとちょっと思う。

出水で生まれ育ったことは、竹崎さんの将来に何かしらの影響があったと思いますか?

生まれたときから住んでる自分にとって、武家屋敷は珍しくもないし、図書館に行けば戦時中の展示物が当たり前にあるし、出水には特攻の基地もあった。この環境は、将来のことや生きることへの不安を考えるきっかけになったし、それがあったから今の自分があると思えるよ。

ここまで読んでくださってありがとございます!

竹崎さんのインタビュー、後半に続きます。

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