土地とヒトの豊かさが集まる場所で、心と身体の健康を守る。

土地とヒトの豊かさが集まる場所で、心と身体の健康を守る。

地域密着型の介護付有料老人ホームいずみと、シニア層向け賃貸マンションも備えた複合福祉施設に加え、不知火海を一望できる温泉施設『千宝の湯』をご夫婦で経営する松隈優子(まつくまゆうこ)さん。

県外に出ていた頃の経験や、Uターンのきっかけ、いま出水に感じることなどなど!盛りだくさんのお話を伺ってきました!


優子さんといえば、東京でバリバリ働いてから出水に帰ってきた組だと思うのですが、出水を離れたのは何歳のときですか?

出水にいたのは12歳まで。中学から高校までは大口の明光学園に行って寮生活。大学も東京だったから、出水に一度帰ってきたのは33歳の頃なの。

そうなんですね!中学で出水を離れたのは優子さん自身の希望ですか?

そうそう。私ミーハーだから、当時見てたドラマの影響で、ベレー帽がかぶりたくて(笑)
大口明光学園だ!ってなったの。

えー!そういう理由ですか!(笑)

それもある、って言った方がいいかな。(笑)
まぁ当時両親は仕事で忙しい時期だったから、人と違うところに行きたい、みたいなのもあったかな。とにかく東京に行きたいとも思ってたね。

なるほど。優子さんの就職活動時代ってどうでしたか?

1996年あたりだと思うんだけど、まさに就職氷河期、ベビーブーム世代。受験戦争もすごかったし、難ありな世代なんだよね。最初は結構ミーハーな就職活動をしてたからことごとく落ちちゃって。
これではだめだと思って、ちゃんと自己分析から始めたの。自分は何がしたいのか、必死に考えるなかで出てきたのは「ベンチャー企業(ベンチャーな気質)」に興味があるってことと、私はやっぱり「人が好き」ということ。そこを軸に、就職活動を再開して、第1希望だったパソナという人材派遣会社に無事入社できたの。

パソナ!超有名企業ですね。

パソナでは本当にいろんな経験ができたよ。私が入ったころは新卒300人入社で、なんといきなり東京本社の社長の秘書室の配属だったの!

いきなり秘書ですか!!すごい…ドキドキですね。

ちょうどその頃はベンチャー三銃士といって、ソフトバンクの孫さん、H.I.Sの澤田さん、パソナの南部さんって注目される頃だったし、南部代表はほんとうに憧れだったから秘書室配属はびっくりだったの。
でさ、朝からパンとコーヒー買って、社長室からは東京タワーが見えてさ、もう~田舎から出てきてるから「東京すごーい♡」ってなったよね。(笑)

それはそうなりますね(笑)

ね!でもさ、東京って憧れもあったし、それなりに楽しく過ごしていたんだけど、上京6年目のときふと鹿児島に帰りたくなったの。東京は確かにキラキラしてい るんだけどお金がないと思いっきり楽しめない部分もあったり、時間の余裕が なかったり、うまく言葉にできないけど、鹿児島のほうが本当の意味でのキラキ ラ生活が送れるんじゃないかって。

それと父の復帰の選挙を手伝いたいという思いもあってね、会社に辞表を出したの。そしたら当時の上司が私を鹿児島支店に異動させてくれて。それとちょうど会社として”選挙活動の休職制度”を導入したタイミングで、家族の応援という形での選挙活動だったけどお休みもいただいて。柔軟な考えのある会社ってすごいなあと思ったよ。

わあ、すごいですね…!

だから社会人3~7年目くらいまでは鹿児島勤務で、人材派遣の仕事を任されて。派遣登録スタッフの面談や研修を担当してたよ。でもその後また福岡勤務も経験して。それから32歳のころに営業職になって、それがパソナ在籍の最後の1年だったかな。自分としてはそれが一つの試練だった。

ちょうどその頃、父が温泉を掘り始めて。施設としては完成形だったけど、これから高齢化社会を迎えるときに、デイサービスとかだけじゃなくて、有料老人ホームの需要が出てくる。年配の方はお風呂と食事が一番の楽しみ。だから昔から夢だった温泉を掘ろうと父が動き出して。それを聞いたとき「いまも借金あるのに、まだ何億もの借金をするの!?面白い…!」と思ったんだよね。

ここまで話を聞いていると、優子さんがそこで面白いと感じるのはなんだかしっくりきますね。

そうでしょ。なんかやっぱり完成したものじゃなくて、途上にあるもの。ここからまだいろんなことに挑戦できる、というのが好き。そこで父から「優子の経験も活かしてもらえないか」と相談もあって。父がやっていることも面白いと思ったし、パソナで今後も営業をやっていくイメージがつかなかったことも重なって、出水に帰る決心をしたの。
独身のときに一度出水に帰って、それから大阪で結婚・出産を経て、家族で出水に帰ってきたよ。

ご主人も優子さんの決断を理解してくださったんですね。実際に帰ってきてからはどうでした?

主人も同じパソナで働いていたけど、九州出身だったから、いつかは子育ても含め九州で暮らしたいという思いもあったけど、鹿児島は住んだことのない町だったから、出水に来たのは私の意向を尊重してくれたのかな~と、感謝しかあり ません。
でも出水にもどってからの最初の4年間は本当に大変だった。特に主人は 一から経理も勉強して、経営者として父の稼業を継ぐことからのスタートだっ たから。私はまだ娘だから多少のことは受け入れられるけど、主人は今までのキャリアとは全く違う業界でもあったし、何より言葉や鹿児島の文化的なことも違うことが多くて、山あり谷あり谷あり(笑)って感じだったけど、周りの方がす ごく気にかけてくれて、声をかけてくれる友人や同じような境遇の方との縁に も恵まれて。そして何よりよそから帰って来た私たちに対して、職員がつい てきてくれて支えてくれたことに感謝しているの。
それと、なんだか33歳のときに一度帰ってきたころの出水と、今はまた違うように感じてる。世代が変わったというのもあるのかもしれないね。

優子さんたち自身の変化も何か関係してるんですかね。

ああ、そうなのかな。なんかさ、子どもの進路のことを考えると、最近はよその学校とか行かなくても、高校までずっと出水ってそんな王道でもいいよね、って思ったりするの。そんな自分にびっくりしてて。
たぶん、家族や友達が近くにいることのありがたさとか楽しさとか、よそに出てたから余計思うのかもしれない。都会から田舎に帰れば、年収は減るし、キラキラも減るけど、いまはネットで買い物もできるし、地方にしかできない遊びや時間の過ごし方が逆に贅沢に思えて。そっちのほうがお金よりも価値があるんじゃないかなって考えになってる気がする。
昔に比べて出水はお店もたくさんあるし、暮らしやすくなった。昔の地方とは違うんだよ、ってよそにいる友人に話したりするもんね。

地元出身で、よそに出て帰ってきた優子さんが話すことは、リアリティがありますね。優子さんとは会うたびに介護施設や温泉をつかって何かできたら、という話で盛り上がるのですが、最近何か考えていることはありますか?

今日話してて思ったのは、父がつくった施設にもしも温泉がなかったら…また違っていたかもなあと思う。温泉から得るものって大きいし、健康のありがたさを感じられる。
認知症になっても、その人らしさをもって、おだやかに、過ごしている利用者さんを見ていて、病気になったとしても、心が健康であることの大切さを感じさせてもらってる。それだけで周りの人たちは受け入れられるし、健康であれば介護も子育ても、少しでも明るくできるはず。やっぱり健康、そこに尽きるなあって。
うちの温泉はかけ流しなんだけどサウナもあって。それって意外と珍しいの。地下水を使っているから水も冷たい。サウナ愛好者には最高だと思うからもっとPRしていかないとなと思う!

【千宝の湯】大浴場・露天風呂の他に、サウナ・ミストサウナ・水風呂完備。
【千宝の湯】海が見える露天風呂でゆっくりと過ごせる
【千宝の湯】温泉から眺める夕日も最高。

やっぱり原点となるのは「健康」というキーワードですかね。何かを取り戻せるような。

そうだね、これからは本当にそこだと思う。最近改めて、出水はやっぱり土地の豊かさとヒトの豊かさがある場所だなあとしみじみ感じる日々だよ。私は出水を離れていた期間が何度かあるからより感じるのかもしれないけど。
海、山、川、町、歴史、出水の中にはいろんな文化が根付いていて、バランスが良いというか。だから、帰ってきたくなったんだと思う。

このバランスの良さが私たちに豊かさを感じさせてくれるのかもしれないですね。優子さん、貴重なお話ありがとうございました!

こちらこそ。ありがとうございました!

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